この記事は、研究職を続けることにモヤモヤを感じている20代後半~30代前半の方に向けて書いています。特に、「研究職が向いてないかも」と思い始めた方と、私と同じようにキャリアの方向転換を考えている方に読んでほしい内容です。
〜研究職が「向いてなかったかも」と思った人へ〜
研究職からキャリアチェンジしたいと考える人の中でも、大きく2つのタイプに分かれるのかなと思います。
1つは、「研究そのものは楽しいけれど、経験を活かしてもっと市場価値を高めたい。成長の場を広げたい。」という人。
もう1つは、「研究職そのものが合わなかった。他に向いている分野があるはずだから、そこを探したい。」という人。
私、モヤスケの場合は、かなり後者のタイプでした。
そしてその違いは、転職で「狙えるゾーン」にも関わってくると、今実感しています。
(※このあたりはまた別記事で整理して書こうと思っていますが)
いずれにしても言えるのは、「どちらの人も、しっかり引き合いはある」ということを、転職活動を始めて実際に転職エージェントさんに壁打ちをしてみて、確かに感じています。
ただし、私の場合は二つ目のタイプでした。そしてこっちのタイプは正解が無いので、結構悩んでいます。このキャリア観のモヤモヤは新卒の就職活動の時点から、ある違和感として存在していたように思います。少し遡って、その頃のことを振り返ってみます。
■大学時代:英語と異文化との出会いにワクワクしていた頃
就職活動では「英語を使ってグローバルな研究開発に貢献したい」といった軸で企業を見ていました。
その背景にあったのは、大学〜大学院にかけてバックパッカーとして海外を旅していた経験です。
ベトナム、カンボジア、タイ、マレーシア、ネパール、インド。あちこちの市場で「ワンダラー!(1ドルにして)」と値切って回っていた頃が懐かしいです。楽しかったです(笑)
現地の山岳地帯に泊まったり、エベレストの麓まで行ったり。言葉が通じなくても、身振り手振りや表情で心が通じたときの喜びが、英語や異文化コミュニケーションへの興味を深めるきっかけになりました。なんだか、嬉しいんですよね。日本では結構縮こまるタイプの自分が、英語を使うと人格が変わるみたいに、明るく活発になりました。あと、みんな陽気で親切でしたね。
そしてアジアでの旅の中で衛生状態の厳しさを感じ、「日本の石鹸やシャンプーがあればいいのに」と思ったのが、消費財メーカーへの関心につながりました。少し綺麗ごとかもしれませんが。
その後、ヨーロッパを旅していた際には、パリの資生堂現地法人に、アポなし・無計画で突撃訪問までしました。今思えばとんでもなく迷惑だったと思いますが、当時の自分にとっては「想い」だけで動けた象徴的なエピソードです。
■大学院時代:バイオ系への憧れと、モヤモヤの始まり
大学院ではバイオ×化学系の研究に携わっていました。
論文を読むのは楽しかったし、最新の技術や知見に触れるのは知的好奇心を満たしてくれました。ただ一方で、実験が得意かというと、そうではなかったんだと思います。
DDS(ドラッグデリバリーシステム)関連の論文などは本当に面白かったです。ナノ粒子に薬を封入して患部に届けるなんて、仕組みとして魅力的だし、研究成果が社会に活かされていくプロセスにも憧れていました。
でも、そこには有機合成の基礎やNMR・MSによる分析、動態評価など、徹底した「サイエンス=数字の世界」が存在している。その深掘りに対して、自分は周りの同期ほどモチベーションを保てない。
このあたりに、今思えば明確な「適性のズレ」がありました。
それでも当時は、「自分が不得意なのでは」と思いながらも、社会貢献度の高さから来る、憧れや尊さに引っ張られていました。ライフサイエンスは、今の医療を支えている領域だし、実際に優秀な同期たちを見ては「すごいな」「尊敬するな」と感じていました。
■他己分析から見えた、「本当は得意だったこと」
そして就職活動に突入しました。この時、自己分析やら他己分析やらやったわけですが、アルバイト程度でしか社会に出たことが無い学生がやる自己分析なんて、正直いってあんま意味ないと思いました。一方で、研究室の同期にしてもらった他己分析は違いました。
印象的だったのがこんなフィードバックです。
- 「マヨスケは遊びの企画が得意」
- 「周りを自然と巻き込む力がある」
- 「海外の人とも普通に話しに行ける度胸がある」
- 「意外と冷静に自分の立ち位置を見ている」
今の自分で振り返っても、確かにピンとくる、的を得ていたなと思うものがありました。
院生時代には、エチオピアからの留学生が研究室に来たこともありましたが、周囲はなかなか関わろうとしないことに結構歯がゆさを感じていました。「せっかく日本に来てくれたのに、寂しい思いをさせるのは違う」と思って声をかけたら、とても喜んでくれて。それが自分にとっても、強く記憶に残っています。
なので、今思い返すと、英語を使うことも好きでしたが、そのものよりも、「人とのコミュニケーションで相手が笑顔になる瞬間」が、自分にとってのやりがいだったように思います。どのように伝えれば相手が心地よいか、どうすれば相手が喜ぶか、相手の感情に機敏でした。
突然ですが、キャリア迷子中の身として、結構Youtube動画とかを参考にしています。なかでもサラタメさんの動画は結構見ており、こんな動画がありました👇👇
今の視点で言えば、マーケティングやブランディング、カスタマーサクセスのような領域――“相手に伝わること”を前提とした仕事に向いていたのかもしれません。(※普通に対面営業で良いじゃんと突っ込みたくなると思いますがそんなことも無く、本当は繊細な部分もあるので、あくまで人の気持ちに機敏なのだと自己理解しています。)
■新卒就活:職種の選択を少しだけ誤ったかもしれない
最終的に私は、研究職で就職しました。
- 大手消費財メーカー(医薬部外品・トイレタリー)×研究職
- 大手化学メーカーの医薬品部門×研究職
の2社から内定をいただき、迷った末に後者を選びました。
理由は「社会貢献度」や「医薬の重み」でした。でも今振り返ると、もしあの時、消費財側を選んでいたら――より“人に伝える”側に回れていたかもしれないと思うことがあります。
もちろん、後悔しているわけではありません。職場では尊敬できる上司や同僚にも出会いました。給与水準も恵まれていたと思います。そして今の奥さんともそこで出会えました、これは大きい。それでも、8年間働いて退職を選んだということは、「やりがいの軸」がズレていた証でもあると思うのです。
■キャリアチェンジは難しい。でも、選び直すことはできる
研究職から転職して思ったのは、“業界を跨いだ職種変更”は想像以上に難しいということ。
例えば僕が興味を持っているような、クリエイティブや戦略性が求められる仕事は、消費財業界にはあるけれど、BtoB色の強い医薬品メーカーには存在していません。
医薬や医療機器業界は規制も強く、広告やユーザー調査も制限されがちです。
ユーザーの声をくみ取っても、製品に反映できるまでに何年もかかる。だからこそ、自分の「得意」が生きる職種が存在しない業界に入ってしまうと、キャリアチェンジのハードルは自然と高くなるのです。
■まとめ:これから選ぶ人へ、過去の自分からのアドバイス
「好き」と「得意」が一致しているなら理想ですが、
もし迷ったら、まずは得意なこと=職種を選んだ方が、後々の自由度が高まります。
その上で、「好きな業界」にはあとからいくらでも辿り着ける。上記でご紹介したサラタメさんのコピペでしかないのですが、本当にその通りだと思いました。
特にこれから就活や転職を考えている方。もし僕と同じように「何かモヤモヤする…」と思っていたら、少しでも参考になれば嬉しいです。
これからも、キャリアのこと、転職のこと、価値観の変化について発信していきます。
迷いながらでも、何とか進もうとしている人の役に立てたら幸いです。
モヤスケ
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